あよめゆそ日記

日常を深く考察して、価値ある豊かなものに・・・

「自立」とは何か?恥ずかしい思い違い。。。

あるとき、たまたまこんな記事に出会いました。
 
『自立』とは『依存先を増やすこと』(熊谷晋一郎さん)
 
初めてこの記事をみたとき衝撃でした。
『自立』とは『誰にも頼らなくてもよくなること』、つまり『依存先を減らすこと』だと思っていたからです。
若い頃は、収入の面でも生活の面でも、自立するために親から離れたい、と思っていましたし、それがある程度の年齢になって実現できている、と実感していましたが、この記事には逆のことが書いていた。
 
熊谷さんは脳性麻痺で幼い頃から親に依存せざるを得なかった。
でも、東京で一人暮らししながら、親ではない友人など多くの人たちに依存することで生活が成り立っていった。つまり、依存先が増えることで自立できた。
 
ちょっと恥ずかしくなってしまったのですが、私が「自立とはできるだけ誰にも頼らないこと」と思っていたのは、結局、自分以外の人・ものに依存していることに気づいていない、認識できていないからだと気づきました。
 
例えば、普段の食事。
ご飯を作ってくれる奥さんがいる、一緒に楽しく食事をしてくれる家族がいる、落ち着いて食事をできる家がある、食事を盛り付ける食器を作ってくれる会社さん・流通業者さんがいる、食材を育ててくれている農家さんがいる、それらのものが売られているスーパーがある、食事の際に座る椅子・机を作ってくれた人がいる、自分の身体を椅子が支えてくれている、机が食事を支えている、自分の身体が健康だから手が動く、箸を使える、噛める、味わえる、胃が消化してくれる、などなど
自分の外の世界は当然、自分の中の世界も含めて、とても多くの人・ものに支えられています。
このどれかが欠けると、普段の食事は成立しません。
奥さんがいないとご飯は食べれないし(実際は自分で作りますが)、家族がいないと楽しくないし、落ち着ける家がないと食事はできない、食材・食器などを作ってくれる人・流通網がないとそれらを自分で行う必要がある、自分の身体に注目すると、手が使えないと、スプーン・フォークを使うことはもちろん、箸も使えない。噛めないと口から栄養は取れないし、胃の機能が落ちると消化もできない。
やはり、自分の周辺環境を見ても、身体の中をみても、常にとても多くのものに依存している状態です。
 
私には、小学校に通う子どもがいますが、子育ての一場面を考えても、そう言えます。
赤ちゃん・子どもが自分で食事できるようになる過程(=自立・発達の過程)とは、「離乳食ではない固いものを食べられるようになること」、「手ではなく、スプーン・フォークを使って、さらには箸を使って食べられるようになること」など、『身体的な成長・動作の習得』だと思っていました。
でも、実は、子どもが食事を習得する過程は、「母親が作った離乳食という限定されたものではないさまざまな食べ物を食べれる筋力・機能を活用できるようになること」(離乳食以外の食事にも頼れる、他人に食べさせてもらうだけでなく自分で食べれるようにもなること)、「手だけでなく、スプーン・フォーク・箸などの多様な道具に頼ることである」など、『健康的に食べるために依存する人・ものを増やすこと』と言えます。
 
熊谷さんは、脳性麻痺という病気と向き合いながら、様々な体験を通じて、ご自身の考えを深められたのだと思います。
しかしながら、私は、いわゆる「健常者」をスタンダードとする社会が前提とするもの・人に依存しているにも関わらず、それに気づけず、自分の力でできている気になって、私は自立しています、と思っていました。。。
めちゃくちゃ恥ずかしい。。。
でも、そう考えると、『自立』という言葉自体とても矛盾を孕んだものに感じますね。
 
自分の日常世界の当たり前を注意深く見てみようという気持ちになりました。
 
この記事を書かれた熊谷晋一郎さん。
これをきっかけに著書も拝見しました。とても興味深いものでした。
自分の頭の整理もしたいので、また、近いうちにブログで綴りたいと思います。
 
ありがとうございました😊