あよめゆそ日記

日常を深く考察して、価値ある豊かなものに・・・

「自立」とは何か?恥ずかしい思い違い。。。

あるとき、たまたまこんな記事に出会いました。
 
『自立』とは『依存先を増やすこと』(熊谷晋一郎さん)
 
初めてこの記事をみたとき衝撃でした。
『自立』とは『誰にも頼らなくてもよくなること』、つまり『依存先を減らすこと』だと思っていたからです。
若い頃は、収入の面でも生活の面でも、自立するために親から離れたい、と思っていましたし、それがある程度の年齢になって実現できている、と実感していましたが、この記事には逆のことが書いていた。
 
熊谷さんは脳性麻痺で幼い頃から親に依存せざるを得なかった。
でも、東京で一人暮らししながら、親ではない友人など多くの人たちに依存することで生活が成り立っていった。つまり、依存先が増えることで自立できた。
 
ちょっと恥ずかしくなってしまったのですが、私が「自立とはできるだけ誰にも頼らないこと」と思っていたのは、結局、自分以外の人・ものに依存していることに気づいていない、認識できていないからだと気づきました。
 
例えば、普段の食事。
ご飯を作ってくれる奥さんがいる、一緒に楽しく食事をしてくれる家族がいる、落ち着いて食事をできる家がある、食事を盛り付ける食器を作ってくれる会社さん・流通業者さんがいる、食材を育ててくれている農家さんがいる、それらのものが売られているスーパーがある、食事の際に座る椅子・机を作ってくれた人がいる、自分の身体を椅子が支えてくれている、机が食事を支えている、自分の身体が健康だから手が動く、箸を使える、噛める、味わえる、胃が消化してくれる、などなど
自分の外の世界は当然、自分の中の世界も含めて、とても多くの人・ものに支えられています。
このどれかが欠けると、普段の食事は成立しません。
奥さんがいないとご飯は食べれないし(実際は自分で作りますが)、家族がいないと楽しくないし、落ち着ける家がないと食事はできない、食材・食器などを作ってくれる人・流通網がないとそれらを自分で行う必要がある、自分の身体に注目すると、手が使えないと、スプーン・フォークを使うことはもちろん、箸も使えない。噛めないと口から栄養は取れないし、胃の機能が落ちると消化もできない。
やはり、自分の周辺環境を見ても、身体の中をみても、常にとても多くのものに依存している状態です。
 
私には、小学校に通う子どもがいますが、子育ての一場面を考えても、そう言えます。
赤ちゃん・子どもが自分で食事できるようになる過程(=自立・発達の過程)とは、「離乳食ではない固いものを食べられるようになること」、「手ではなく、スプーン・フォークを使って、さらには箸を使って食べられるようになること」など、『身体的な成長・動作の習得』だと思っていました。
でも、実は、子どもが食事を習得する過程は、「母親が作った離乳食という限定されたものではないさまざまな食べ物を食べれる筋力・機能を活用できるようになること」(離乳食以外の食事にも頼れる、他人に食べさせてもらうだけでなく自分で食べれるようにもなること)、「手だけでなく、スプーン・フォーク・箸などの多様な道具に頼ることである」など、『健康的に食べるために依存する人・ものを増やすこと』と言えます。
 
熊谷さんは、脳性麻痺という病気と向き合いながら、様々な体験を通じて、ご自身の考えを深められたのだと思います。
しかしながら、私は、いわゆる「健常者」をスタンダードとする社会が前提とするもの・人に依存しているにも関わらず、それに気づけず、自分の力でできている気になって、私は自立しています、と思っていました。。。
めちゃくちゃ恥ずかしい。。。
でも、そう考えると、『自立』という言葉自体とても矛盾を孕んだものに感じますね。
 
自分の日常世界の当たり前を注意深く見てみようという気持ちになりました。
 
この記事を書かれた熊谷晋一郎さん。
これをきっかけに著書も拝見しました。とても興味深いものでした。
自分の頭の整理もしたいので、また、近いうちにブログで綴りたいと思います。
 
ありがとうございました😊
 
 
 
 
 
 

「13歳からの地政学」を読んでみた・・・

ロシア・ウクライナ問題を受けて、さすがに他人事とは思えず、今更、「世界の歴史」とか、「自由資本主義・社会主義とは何か?」、「個人でもできることって何だろう?」などと考えるようになりました。
お恥ずかしながら、世界史とか日本史とか、学生時代にちょっと勉強したものの、ただテストで点数とるためで本質的なことは理解していませんでしたし、それほど興味もありませんでした。
そんな中、いろいろな本とかインターネットの情報をみる中で、おもしろかったのが、
 
「13歳からの地政学」(田中孝幸さん)
 
学生時代の歴史の授業を思い出すと、
 
・古代から近代まで時系列で学んでいき、結果、近代は授業時間が取れなくて、本当の触りだけで終わるか。
・世界史も重要な時代だけかいつまんでやるか。
 
って感じだったと思います。
 
たぶん、それだと子どもにとって、「歴史を学ぶ」もしくは「これから社会で生きていく上で最低限の教養を身につける」モチベーションを持てない。
モチベーションを持って、歴史とか世界情勢を学ぶのに、本書のようなアプローチがすごくいいと思いました。
 
「国の豊かさ」、「アフリカの貧しさ」、「領土・国境」、「核ミサイル」など、テーマは難しいものの、それらと地理的条件の関係性がめちゃくちゃわかりやすく解説されています。
世界で起きていることの原因がイメージが鮮明になって、世界がつながっていく感じ。
 
そして、それらを完全に理解できていなくても、「相手の立場を理解する」という生きる上でにすごくシンプルで重要なことを学べる。
「自分だけでなく、相手にも興味を持って、それを理解しようとする姿勢」
それは、人がまずあるべき姿勢だと思いますよね。
差別、いじめ、不正などの根源はその姿勢の欠如だと思うので。
まずは、興味を持つことから。本当にそう思いました。
 
 
また、日本の成り立ちについて考えてみても、地理的な要素が非常に大きい、と感じました。
 
日本が島国(すぐに隣国に攻められる地形でない)で、しかも極東という欧米から離れた場所に位置していたから、他国の状況の影響を受けないで、経済成長してこれた。
もし、日本が朝鮮半島と陸で繋がっていたら、間違いなく今の日本はなかったでしょうね。
13世紀の元寇の襲来により支配されていたでしょうし、鎖国を行っていた江戸時代なんて国境が陸続きだったら約260年も成立するわけない。
もし、日本が、ドイツやウクライナのような東側、西側の堺目とは真逆の位置(=極東)にあったら、日本が戦場になって欧米から支配されたかもしれません。
昔は日本に来るだけでも大変な時代。それを戦力を保持しながら移動して、日本列島を制圧する、なんてことは困難だったに違いありません。
日本が他国の植民地になったことがないという歴史は地理的な要因が本当に大きいと思います。
 
また、第二次世界大戦後の日本を考えても、ソ連社会主義)の台頭がなければ、アメリカが日本の成長を支援することはなかったでしょう(GHQは敗戦後の日本をもっと弱くしようとしてたはずなので)。
戦後の経済成長も、世界のパワーバランスの中でなし得たことだと思うと、世界に対する見方が面白くなってきますよね。
 
このように、日本の状況だけを少し考えるだけでもいかに世界が繋がっているかを痛感します。
 
 
それと同時にこれからの日本を考えるとすごく不安ですよね。
 
インターネットの普及で情報網の伝播が異常に早くなり、世界を移動することも昔に比べると楽になったし、軍事技術も大幅に進化している。
科学技術の進展により、地理的な距離を縮めるもしくは別の手段で補完することが可能になりました。
 
「相手の立場を理解して話し合うこと」は本当に大事なんだろうけど、
・昨今の世界情勢をみると、本当に「話し合い」で理解し合える状況が来るのだろうか?
・軍事力を持たずに、平和な日常を守ることはできるのだろうか?
・日本とアメリカとの関係ではどうあるべきなのか?中国とはどうなのか?
などなど
 
平和は信頼関係があって初めて成り立つものだと頭では理解していても、最近の様子をみていると、それほど簡単なものでもない。
 
もっと歴史を学び、世界を知ることで、視野を広げ、考えて続けていくことが大事なんだろうな、と思いました。
これからも学び考えを深めていきたいですね。
 
ありがとうございました😀
 
 
 
 
 
 
 

『良い思考』とは何だ・・・

岡田斗司夫さんのYouTubeがおもしろくて、勉強になったので、今後も見返して復習できるように、綴っておきたいと思います。

 

昨日、リンクのものをみたのですが、さすがわかり易くて、おもしろいですね。

【戦闘思考力①】「皆さんのように優秀な人は特に注意して下さい」コレができないと脳がエンストします【 岡田斗司夫 切り抜き サイコパス 】 - YouTube

【戦闘思考力②】「速さで圧倒したり先読みをする奴は二流」本当に頭がいい人は相手に対してコレができます【 岡田斗司夫 切り抜き サイコパス 】 - YouTube

 

岡田さんがおっしゃっていることをざっとまとめると、こんな感じです。

 

まず、一般的に「良いもの」とは、①パワー、②使いやすさ、③丈夫さを兼ね備えているもの

(例えば、パソコンは、①CPUの性能が高くて、②インターフェイスが使いやすくて、③壊れにくいOS・ハードウェアを備えているものが良いもの。)

 

これを、思考に置き換えると、①思考ギア、②表現力(相手に伝わりやすい)、③強くて正しい自己を備える、ということ

  1. 思考ギア
    • 自分の思考に、「ハイ」、「ミドル」、「ロー」のギアを持たせて、場面により使い分ける。
    • 「ハイ」ギアは、いわゆる頭の回転が早い、という思考状態。会話してても、ポンポンと高速でやり取りできる状態。
    • 「ロー」ギアは、とにかく相手の話しを聞くことに集中する思考状態。
    • 「ミドル」は、「ハイ」と「ロー」の中間で、通常の思考状態。
  2. 表現力(相手に伝わりやすい)
    • いつも口数が少ない人は、いつもの3〜4倍の量で話す。支離滅裂でも構わない。相手が意味を拾ってくれる。とにかく話す量を増やす。
    • いつも口数が多い人は、いつもの10分の1の量で話す。より相手に伝わりやすことを吟味して話す。
  3. 強くて正しい自己
    • 思考する主体である自己を確立しておくこと
    • 岡田さんは、他人を虫とか犬だと思って話しをされたりするそうです。そうすることで人間である自分という主体が明確になるので。それは決して他人を見下す、ということではなく、そういう手段ということです。演劇の人が会場の観客をかぼちゃと思うように。

 

おもしろい視点がたくさんありますよね。

まず、「良いもの」の定義の仕方。

思考いう無形のものの「良い」を定義するために、有形のもので考えてみる。

当たり前にお話しされてますけど、冒頭からすごいなあ、と思いました。

 

次に、良い思考の要素1「思考ギア」

「ハイ」だけでは、スピードがあるけど、パワー・重厚感がない。

「ロー」はスピードがないけど、パワー・重厚感がある。

普段、あまり「ロー」の部分を意識していませんでした。

むしろ「ロー」はダメで「ハイ」が良いと思ってた。

子どもと話しをしている時によく思うのですが、「それってつまりこうだよね?」、「だったらこうじゃないの?」などとか割と言ってしまっている自分がいる。

反省。。。

YouTubeでは、これらの鍛え方にも触れてます。

「ハイ」のギアは、①秒単位で考えて答える、②とりあえず、答えてしまって、話しながら理由を考える。③おおよその話したいことを話して、対話しながら微調整していく(デッサン法と呼ばれてましたが、はっきりとした線をいきなり書くのではなく、まずおおよその線を書いて、相手の反応をみて書き直していく)。

「ロー」のギアは、とにかく聴く。その後、「わかるわー」、「そうだよねー」などと共感する。その後、自分の経験を話す(考えを話してはいけない。考えを話すとギアが「ハイ」になってくる)。

 

そして、良い思考の要素2「表現力(相手に伝わりやすい)」

個人的には、普段会話している中でも会話が多いタイプではなく、どちらかというと言葉を吟味してしまうタイプですので、話す量を増やす意識が必要と思いました。

「言葉は正確なものを使っていても、誤解されてしまうもの」。だから、こういうやり方が有効だ、というのは納得。

いくら言葉を吟味しても伝わらないことは伝わりません。。。

 

最後に、良い思考の要素3「強くて正しい自己」

これは少し意外に感じましたが、確かにそうだよなあ、と思いました。

思考している自分自身がぶれてしまうと、思考もぶれる。

岡田さんがいうように、傲慢でもなく、自己中心的でもなく、自分が主体となるということ。

「強くて正しい自己」があれば譲歩できる。相手の正しさを許容できる。

逆に「強くて正しい自己」がないと、反論された時などに、自己の正当性を証明するために、言いまかそうとしたり、逆ギレしたりして、相手の考えを受け入れられない。

 

「自分が主体になる」。これ簡単なようで難しいですね。

思考する時に自分以外のものに視点をずらすことは必要だと思うのですが、あくまで主体は自分にする、と。

思考って難しいけど、楽しいですね。

 

ありがとうございました😀

 

 

 

 

息子の卒園 〜『謝辞』を読ませていただきました〜

先日、息子の保育園の卒園式で、保護者代表で謝辞を読ませていただきました。

息子は5年間、上のお姉ちゃん達も同じ保育園に通っていたので、累計すると10年近く通った保育園。

子ども達への愛情いっぱいの先生方と素直で明るいお友達と一緒に保育園生活を送れたことに心から感謝です。

今回『謝辞』を読む、という貴重な経験をさせていただいたので、綴りたいと思いました。

 

≪目次≫

  • そもそも『謝辞』とは?
  • 『謝辞』の内容はどう考えるのか?
  • 大事と思ったこと
  • 最後に・・・

 

  • そもそも『謝辞』とは?

『謝辞』は卒業生や保護者が先生に感謝の意を込めて贈る言葉です。

『祝辞』は卒業生や保護者に対しお祝いの意を込めて贈る言葉とは異なります。

私は、卒園式の3週間ほど前に担任の先生に卒園式で『謝辞』を読んでほしい、と依頼されました。

担任の先生が保護者に先生に感謝の言葉を送る『謝辞』をお願いするというのも、よく考えると変な感じですよね・・・。

 

  • 『謝辞』の内容はどう考えるのか?

本当にお世話になりっぱなしだった先生方からの依頼だったので「やります!!」と即答したものの(もともとこういうのは苦手なのですが・・・)、何から手をつけて良いか、わからず、途方にくれていました。

しかし、便利な世の中になりましたね。今はインターネットを通じて、先人の知恵をすぐに学べます。

色々なサイトを拝見しましたが、特にこのサイトを参考にさせていただきました。

本当に助かりました。ありがとうございます。

tokyo-eventplus.com

まず、『謝辞』の内容を考える上で一番大事なことはこのサイトにもある通り、文章の構成を決めてしまうことだと思います。

仕事でのメールなどもそうだと思いますが、型を決めてしまった方が良いですね。

「オリジナリティを出さなきゃいけない」という気持ちもあり、ちょっと違う構成にしてみたらどうかな、とも考えましたが、卒園式というセレモニーの雰囲気を考えると、構成そのものからオリジナリティを出してしまう、と先生方はもちろん、他の保護者の方にも伝わりにくくなってしまう、と思います。

そもそも保護者代表での謝辞なので私個人のオリジナリティは必要ないですしね。

基本構成は以下①から⑥の通り。全体で4分程度(1000字程度)くらいの文量です。

①はじめの挨拶

季語などを含めたはじめの挨拶。

これは参考例文たくさんあるので、ピンときた決まり文句にしてしまってよいと思います。

むしろ、決まり文句にしておいた方が本番緊張するので、冒頭、落ち着いて読めると思います。

②卒園式開催・来賓の方々に対する感謝

これも決まり文句をベースに考えてよいところ。

ただ、今回はコロナ禍での開催のため、基本的な感染対策はもちろん、より広い会場を手配頂いたり、事前の体温チェックなど、準備に相当苦労されたと思うので、その点は加えました。

来賓の方はコロナ禍で参列されないことを事前に聞いていたのでカット。

③子ども達の成長について

ここからが本番です。

「子どもが成長したことは何か???」といきなり言われても意外と即答できません。。。

そこで、保育園の入園時から今までの写真や動画などを見返して、過去を振り返ることからはじめました。

その中で、身体の成長は明らかに見えますし、精神的な成長にも気付けます。

家族でそんな話しをしてみるのも良いですね。

意外と父親、母親、兄弟、おじいちゃん、おばあちゃんなど、立場が違うとみえる成長が違うこともあります。

また、「個人的な話しになりすぎないようにすること」も重要です。

④先生方への感謝

いよいよメインの部分です。

ここのために、①から③があったと言っても過言ではありません。

ここは③での過去の振り返りを踏まえ、自分の気持ちをそのまま書き出して、整理してみました。

先生方に対して一番感じていた気持ちはシンプルにいうと、

「子どもたちの成長は先生方の愛情があったからこそだよなぁ」

 

保育園は幼稚園と比べ、子どもたちの様子を直接みる機会が少ないです。

送り迎えの会話やたまにある保育参観くらいでしょうか?

ただ、それでも私はいつも真っ直ぐに子どもたちと向かい合う先生方の愛情を感じていました(時には親以上の。。。)。

その具体的な場面を想像しながら、書いてみました。文例は最後に書いてます。

 

⑤今後の抱負について

卒園後の抱負です。

赤ちゃんのときから、家族とは異なる社会で生活していたこと自体、とても大きな経験ですよね。

特に、私の子どもが通っていた保育園は、同じ歳の子どもたちだけでなく、違う歳の子ども同士が交流する機会も多かったので、とても貴重だったと思います。

 

⑥結びの挨拶

ここもほぼよくある決まり文句の通りです。

ここまで読んでいると、気持ちも高ぶりますので、ちょっとクールダウンする意味でもそれで良いと思います。

 

  • 大事だな、と思ったこと

まず、「用紙の準備、謝辞の内容を考えること、用紙に書くこと」までをなるべく早くやること。

日々の生活が多忙だとは思いますが、後は読むだけっていう状態に早めにしておくことが大事です(遅くとも式の1週間くらい前まで)。意外とてこずります。

すぐに用紙を準備しましょう。

www.amazon.co.jp

アコーディオンのように折りたためる式辞用紙を使います。

手書きか、印刷かは自由ですが、いずれにしても戸惑います。

手書きは書くのに時間がかかるし、印刷も式辞用紙の向きを間違ったり、紙質や折り目によりうまく印字できなかったり、実はインクがなかったり、などなど、いつも印刷するものとは違うので、トラブります!!

私は印刷しましたが、トラブりました。。。

とにかく早めに準備に着手することをオススメします!!!

 

つぎに、「謝辞の内容は自分じゃない他の人にみてもらうこと」

私は奥さんに見てもらいました。

「てにをは」はもちろん、「個人的な話しばかりになっていないか?」(保護者代表として適切な内容か?)、また「回りくどい表現になってないか?」、「伝わりやすい表現か?」という点でも他人に見てもらうことで気づきがあります。

 

そして、練習すること。

これは、結果的に感じたことですが、もともと人前で話すことが得意ではないので、声に出して読むことを毎日少しずつやってました。

案の定、本番ではめちゃくちゃ緊張して、手が震える。。。どうしよう。。。という気持ちになりました。。。

しかし、事前に声に出していた練習していたことで、読み出したら、割と落ち着けました。

また、練習では、声に出すことだけでなく、謝辞を封筒から出して、紙をみながら、読む。その後、謝辞を封筒に戻す、ここまでの一連の流れで、練習しておくとなお良いです。

というのも、アコーディオンのように折りたたむ用紙を封筒から取り出して、開きながら読むことが意外と難しいからです。

普段持ち慣れていないので、練習しとくと本番で安心できます。

また、イメージトレーニングも重要です。

本番の会場の雰囲気もありますし、どういうステージか、本番はどこの席からどういうルートでステージにのぼるか、どこで礼するか、読み終えた後の謝辞をその場で渡すのか等、当日の状況をできる限り想像しながら練習できると良いですよね。

私はお姉ちゃんの卒園式を経験していたので、何となく理解していたので、やりやすかったです。

そうでなくても、式当日に先生から事前の説明あると思うので、大丈夫だと思います。

 

  • 最後に・・・

長々と書きましたが、とても貴重な経験をさせてもらいました。

準備から本番までを通じて、改めて保育園の先生方への感謝を確認できたこと、式の後に先生方や他のお父さん・お母さんから「感動しました!」、「かっこよかったです!!」などと言われたこと(お世辞だと思うけど)など、学びと喜びがありました。

保育園の子どもたちとのお別れもつらいですが、新たな生活がスタートしています😊

引き続き日々を味わいながら過ごしていきたいと思います。

ありがとうございました😊

 

【参考】謝辞文例

暖かい風が吹き始め、春の訪れを感じられるようになりました。
コロナウイルス感染拡大の影響で気の抜けない日々が続く中、このような心温まる卒園式を挙行いただき、ご準備いただいた先生方及び関係するすべて皆様に感謝申し上げます。
僭越ながら保護者を代表致しまして、一言お礼の言葉を述べさせて頂きます。
 
●●●保育園に入園してからこれまで、子どもたちは身体も心も大きく成長することができました。
入園したばかりの頃は、毎日、園の玄関で不安そうな表情をしていたり、泣いていた子ども達。
しかし、少しずつ園の生活にも慣れ、笑顔で登園できるようになり、今では、保育園の迎えの際、「もっと保育園でみんなと遊びたかったのに」などという日もあるくらい、●●●保育園が好きになりました。
また、お遊戯会では、幼い頃はうまく表現ができず、泣いてしまうこともありましたが、年を重ねるにつれ、少しずつ自分を表現できるようになり、セリフを忘れた子がいてもフォローするなど、自分以外のお友達を気遣えるようにもなりました。
その他にも、運動会でのパラバルーン、組体操。初めて親がいない夜を過ごしたお泊まり保育など、先生方・お友だちみんなと協力して目標を達成することができました。
園での日常生活、様々な行事を通じて、子どもたちがここまでたくましく成長できたことを心から嬉しく思います。
 
そして、これらの子どもたちの成長は、先生方の愛情により、育まれたものだと思います。
保育園の玄関でいつも笑顔で迎えてくださった先生方。
育児や仕事などで私たち親の気持ちに余裕がない状況でも支えてくださり、その笑顔に何度も救われました。
毎日、玄関に掲示される、保育園でのその日の様子が書かれたメモ。
そのメモからは、園での生活の様子はもちろん、先生方の子どもたちを見守る温かさを感じました。
運動会、お遊戯会、夕涼み会などでの衣装や製作物・掲示物。
朝から晩まで保育をしている中、ご準備いただき、「子ども達に楽しんでもらいたい」、「子ども達の笑顔がみたい」という先生方の愛情を感じました。
このようなたくさんの先生方の愛情を受けながら、子ども達が●●●保育園で大きく成長できたことに心から感謝致します。
本当にありがとうございました。
 
子どもたちの●●●保育園での生活はもうすぐ終わりを迎えます。
私たち親も含めて、寂しい気持ちはありますが、●●●保育園で過ごした思い出、先生方に対する感謝の気持ちを忘れずに、自信を持ってそれぞれの道を歩んでいきます。
 
最後になりますが、●●●保育園の益々の発展と、本日参列される全ての皆様の健康とご多幸を祈念いたしまして、お礼の言葉とさせていただきます。
今まで本当にありがとうございました。
 
令和4年3月●日 保護者代表 ●● ●

 

HSPな私、本音センサーの感度を取り戻そう

HSPという言葉をご存知でしょうか?
HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び、頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー)」
HSPは先天的なもので、5人に1人くらいの割合で存在するようです。
 
診断されたわけではありませんが、私は明らかにこういう気質を持っています。
 
例えば、
私は、奥さん・子ども3人の五人家族で生活しています。
仕事から帰ってきて玄関に入った瞬間、家族の雰囲気が良いか険悪かわかります。
テレワークなどで部屋にこもっている時も、奥さんが食器を洗っている音、洗濯機をセットしている時の音などで奥さんの様子・機嫌がわかります。
まずそうな時は、声をかけて家事の手伝いをしたりしますが、感じたことは当たっていることが多いです。
 
会社ではオフィスの同じフロアにいくつかの課があって合計30人ほどが働いています。
フロアに足を踏み入れた瞬間、「何となく今この課は気まずい雰囲気だな」、「この人調子良さそうだな」などと感じます。
また、電話で話す声、電話を置く音、歩く音などを聞いたり、パソコンのキーボードを打っている様子、キャビネから資料を出している様子などをみる(時にはみなくても感じるだけで)とその人の快不快を感じます。
 
先日も、私の所属している課とは別の課長とAさんの会話が耳に入ってきました(私の席からだいぶ離れた後ろの島でしたが。。。)。
会話の内容自体は普通の業務のやりとりでしたが、Aさんの声からは課長に対する不満が明らかに感じられ、ずっと気になってしまいました。
こうなると、もう止まりません。
私自身は全く関係ないことなのに、なぜかAさんが私に対して不満を持っていて申し訳ないのような気持ちになってしまいました。
自分の仕事に集中しようにも、どうしても気になってしまいます。
こうして、退社する頃にはとてつもない疲労感。。。
 
 
同じような悩みを抱えている人は多くいるようで、
関連する本もたくさんあります。
私のおすすめ。
 
この本で、一番印象的だったのは、
 
「こうしたい」という本音をキャッチして、大切にする。
そうすることでどんどん楽になり、見違えるように元気になれる。
 
 
確かに自分がこういう感覚を持っていて嫌な気持ちになることも多く、周囲が気になり過ぎて、自分の感情・感覚・本音がわからなくなることが多いんですよね(というより、自分の感情そのものに意識がいかない。本音センサーが作動していない。。。)。
 
最近、ブログをはじめてみたので、
「こうしたい」という自分の感情・感覚・本音をブログでアウトプットすることを通じて、自分の本音センサーの感度を少しずつ取り戻していこうと思いました。
 
あまり焦ってもしょうがないので、少しずつですが。
 
ありがとうございました😊

「●●としてはどう考えているのですか?」・・・言葉はナイフみたいなものだな、と感じた話し

最近、会社の課の打ち合わせでこんなことがありました。
A課長が、会社の上層部だけで行われた会議で決定された事項を、課員に報告していた場面。
 
A課長:「●●●ということが決定したので、今後は課でも▲▲▲を実践していきます。」
Bさん:「実践した時に×××というリスクがあると思うのですが、会社としてはどう考えているのですか?」
A課長:「そういうリスクに対しては◆◆◆というように対応してください。」
Bさん:「お客様には■■■という影響が出ると思うのですが、課長としてはどう考えているのですか?」
・・・
 
Bさんは、会社の決定事項に対して、どうしても納得がいかないようで、その後も、
「会社としてはどう考えているのですか?」
「課長としてはどう考えているのですか?」
「他の課としてはどう考えているのですか?」
「みなさんとしてはどう考えているのですか?」
と、「●●としてはどう考えているのですか?」の連続。。。
結局、ほぼBさんだけが一方的に話して、その事案に関しての報告は終了しました。。。
 
  • 言葉の脅威
会社に勤めていれば、たまにこんなことはあると思うのですが、個人的にはちょっと恐怖体験でした。
確かにBさんのいう通り、その事案については、リスクがあったり、決定プロセスに対して理解し難いことはありました。
 
しかしながら、
 
「実践した時に×××というリスクがあると思うのですが、会社としてはどう考えているのですか?」
 
というその表現。
 
あえて【会社】という組織の意思を聞く必要あるのか?
そういう表現を使うことで、会社と自分を切り離しているように感じます。
Bさん自身も会社に属しているにも関わらず、【会社】と【Bさん自身】は全く違う存在であるかのように・・・
 
例えば、
 
「実践した時に×××というリスクがあると思うのですが、対応方法の検討が必要ではないでしょうか?」
 
と、こんな感じで聞けばいいのでは???
Bさんの言い方もあるかもしれませんが、その表現に一種の脅威を感じました。
 
「●●としてはどう考えているのですか?」という表現は、
 
【●●】の存在と【●●】以外の存在を明確に切り離し、孤立させ、【●●】と【●●】以外では考えは全然違いますよ。本当に大丈夫ですか?
 
と、問われているように感じるのです。
(Bさんはそこまで言ってませんし、私自身が敏感すぎることも理解していますが。。。)
 
 
念の為に申し上げますが、Bさん自身はとても優秀で別に悪い人だとも思っていないのです。
ただ、そういう言葉の使い方をすることに個人的に驚異を感じるということ。
 
  • 言葉の性質
言葉というのは、すごく便利で、言葉があるから人類がここまで進化を遂げたのは間違いありません。
ただし、切れ味のいいナイフのように、同時に危険性も孕んでいます。
論理的にも、実際的にも正しくはないですが、よくよく注意をしないと、
「ある国の考え方は正しい」と言えば、「違う国の考え方は正しくない」となるし、
「Aさんの仕事は素晴らしい」と言えば、「Aさん以外の人の仕事は素晴らしくない」となる。
 
インターネットの普及でSNSなどを通じてこれだけ言葉が横行する時代。
本人の意図とは別に言葉だけが流れていき、誰かを傷つけてしまう。
でも、それは逆に、言葉が流れていき、誰かを励ますこともできる。
 
こういう言葉のナイフのような性質を一人一人が理解するだけで、世の中は変わってくるのではないかな、と感じました。
 
ありがとうございました😊
 

『あたりまえ体操』って何でこんなにおもしろいのだろう?

先日、息子が私のスマホをいじっているとき、たまたまCOWCOWさんの『あたりまえ体操』が流れてきました。

「懐かしいなあ」と思っていたのですが、息子は初めて聞いたにも関わらず、すぐに曲を覚え、自分が考えたオリジナルの歌詞をつけて、歌い出しました。。。

「えっ、この短時間で、まじか!!!」

考えてみれば、上の娘も一時期『あたりまえ体操』にハマってました。

子どもから愛される『あたりまえ体操』の魅力を一度考えてみたくなりました。

www.youtube.com

 

《目次》

  • ネタについて
  • COWCOWさんの魅力
  • フレーズ(言葉)のおもしろさ
  • 繊細な表情・動き
  • シンプルな音楽
  • 様々なバージョン
  • 世界でも大人気な当たり前体操
  • まとめ

 

  • ネタについて

ネタとしては、いわゆる《あるあるネタ》に当たるのかな、と思います。

あるあるネタといえば、テツandトモさんの「なんでだろう」、レギュラーさんの「あるある探検隊」などが代表的ですが、どれも素晴らしいですよね。

あたりまえ体操』は、フレーズはもちろん、衣装とか背景などもNHKのラジオ体操を想起させる(あるあると思わせる)工夫がされていますよね。

 

このネタを語る上で、まず大事なのが、COWCOWさんの存在。

COWCOWさんは漫才もコントもめちゃくちゃおもしろいし、本当に好き!!

個人的に特に好きなのは、二人の表情や動きが織りなす、“ほのぼのとした”、というか、“哀愁がある”というか、あの柔和な世界観。

二人の世界観を特に際立たせているのが、このネタな気がします。

 

  • フレーズ(言葉)のおもしろさ

当たり前のことを堂々と言葉にされると、なぜかおもしろいんですね。

不思議ですね。

 

「右足を出して左足を出すと、歩ける」

「人が来て近すぎると、腹立つ」

「かくれんぼうで隠れなかったら、見つかる」

 

「わざわざ何で口にするんだろう!!」、「そら、そうでしょう!!」、「そんなこと言われなくても知ってるわ!!」などと思わずつっこんでしまいたくなるおもしろさ、ですね。

『共感』が『おもしろさ』につながっているんですかね。

 

  • 繊細な動き、表情

ネタの途中から、当たり前なことをフレーズで表現するだけでなく、表情や動きだけで表現されます。

 

「やめろや、やめろや、やめろや」

 

これは、テキストだけで伝えてもよくわかりませんね。。。

ぜひ、ネタをご覧ください。

これもネタを楽しませる工夫ですよね。

 

  • シンプルな音楽

まず、音程・リズム。

年長の息子でもすぐに歌えるようになるくらいなので、そのシンプルさは秀逸ですね。シンプルがゆえにネタがストレートに心に届きます。

でも、途中で曲の展開が変わります。

 

「たたくと痛い~ お化けが怖い~

カレーはうまい~ 彼女がほしい~」

 

この辺りの変化も作曲のセンスが光ります。

 

次に、歌声。

COWCOWさん自身が歌っていないことがおもしろさを倍増させています。

こうすることで前述したCOWCOWさんの表情、動きによる世界観が余計に際立ちます。

また、あの男性の声も見事ですね。

まじめで力強い感じがCOWCOWさんの柔和な世界観とのギャップを生み、さらに笑っちゃいます。

女性や子どもの声だと優しすぎてちょっと弱い気がしますよね。

 

そして、ネタの最後の一言の締め。

 

「スキニージーンズからスウェットにはきかえると楽になるよ」

 

そこで初めてCOWCOWさんの声を聞くので、もうみてるこっちはドキドキしてしまいます。オチも見事です!!!

 

  • 様々なバージョン

そして、『あたりまえ体操』には、様々なバージョンがあります。

 

「サラリーマン」、「電車」、「空飛ぶ」、「男と女」、「冬バージョン」などなど

 

このネタのバリエーション!!!

「いかにわれわれの世界には当たり前過ぎて気づいていないことがあるのか」ということを改めて感じます。

ネタの多様性が発揮されています。

 

インドネシア版が流行ったこともあり、インドネシア語や英語、韓国語など、いろんな言語でやられているそうです。

すごくないですか!?

「笑い」って、言葉や文化によりツボが異なるので、なかなか国境を越えられないものだと思っていました。

今や世界のCOWCOWさん。。。

世界の人も同じような笑いのツボがあることにちょっと嬉しい気持ちになりましたね。

 

  • まとめ

長々と書きましたが、私はただのお笑い好きです。

そして、普段は何も考えずに、いろんなネタをみて、笑わせてもらっています。

「笑い」って理屈じゃないところもたくさんあると思うのですが、ちょっと考えてみるだけでも、そのネタの精巧さに驚きました。

私は、COWCOWさんはもちろん、お笑い芸人の方を尊敬しています。

「人を笑わせること」=「人を幸せにすること」ですが、ここまで、ダイレクトに人を幸せにできる仕事って魅力的ですよね?

世界がこんなときだからこそ、「笑える」幸せを感じています。

 

ありがとうございました😊