あよめゆそ日記

日常を深く考察して、価値ある豊かなものに・・・

民生委員って何だろう?

先日、小学生の娘が「民生委員の活動内容を紹介するチラシ」のようなものを持ち帰ってきました。

私自身、存在は知っていたものの、実際の活動内容については、何となくしか知らなかったので、少し調べてみました。

 

≪目次≫

 

民生委員とは・・・

民生委員について、簡単にまとめると下記のようになります。
・民生委員法に基づく厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員。
・給与の支給はなく(無報酬)、ボランティアとして活動(任期は3年、再任可)。
児童福祉法に定める児童委員も兼務。
・民生委員・児童委員制度は全国統一の制度。
・すべての市町村において、一定の基準に従いその定数が定められ、全国で約23万人が活動。100年もの歴史がある。
・自らも地域住民の一員として、それぞれが担当する区域で、①住民の生活上のさまざまな相談、②行政などの適切な支援やサービスへのつなぎ、③高齢者や障がい者世帯の見守りや安否確認などの活動する地域福祉の増進を役割とする。
 
率直な感想。
  • 地方公務員なのを知らなかった。
  • 無報酬なのに23万人もの人が活動していて、しかも、全国的な制度として100年続いている。すごい!!!
 
このまま終わるのは寂しいので、私なりに「100年続く理由」について、考えてみました。
 

「個人」と「社会」とその関係

まず、民生委員の活動は、住民と地域社会をつなぐ活動なので、住民(=「個人」)と地域社会(=「社会」)がどうつながっているのか(=関係性)を理解する必要があります。
民生委員が、その関係性の中でどういう役割を担っているか考えます。
 
◆「個人の機能」について
まず、「個人」について、考えます。
特に、個人が生まれて、成長していき、歳を重ねて老いて、死んでいく過程における「個人の機能」に注目しました。
ここでいう「個人の機能」とは、「身体的機能(歩く、食べる、飲むなどの生活に必要な身体動作)、認知機能(記憶力・言語能力・判断力など)など、社会生活を営む上で必要とされる個人の能力全般」です。
「個人の機能」を時間軸でみると、基本的には【図1】のようなイメージになります。

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「生まれて死ぬまでの時間の流れ」(X軸)と「個人の機能」(Y軸)
生まれてからある程度大人になるまでの過程で、「個人の機能」が高まります(期間A)。
具体的には、泣くことしかできない赤ちゃんの状態から、ハイハイして、つかまり立ち、よちよち歩きできるようになる。言葉も覚え始め、家族、学校などで社会性を身につけていく、という過程です。
その後、「個人の機能」は病気などで多少変動することがあるにしても、それなりに高い水準で維持されます(期間B)
さらに、歳を重ねると、老化(それに伴う病気など)により「個人の機能」は衰え、死に至ります(期間C)。
 
なお、所謂何かしらの障害を持っている方は、曲線全体が低い状態にある、と考えられます。
 
◆「個人」と「社会」の関係性について
一方、社会で生活する上で必要な「個人の機能」には一定水準(「必要水準」と呼びます)があると考えられます。
この「個人の機能」が「必要水準」を下回っていると、その人は社会生活を送ることが難しくなります。
例えば、以下のような場合です。
・まだ歩けない子どもは買い物にもいけない。
・小学生くらいでは買い物に行けるかもしれないが、何かトラブルがあった時の判断能力に乏しい。
・高齢で筋力低下により転倒してしまち骨折。車椅子での生活を余儀なくされた。
 
このギャップを埋めるために、家族・地域などの支援が必要になります。
民生委員の活動もこのギャップを埋めるための支援の一つと考えられます(福祉に貢献される立場なので当然ですが)。

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◆「個人の機能」と「必要水準」の時代による変化
近年、「個人の機能」と「必要水準」は、明らかに変化しています。
食に対して困らない時代になったこと、最低限の教育を受けられるようになったことなどから、子どもの成長が以前より早くなっています。
また、健康増進、予防医療やテクノロジーの進化により「個人の機能」をそれらが補填・補完できるようになっています。
それらにより、寿命が伸び、「個人の機能」は、全体的に引き上げられています(【図3】*1)。
さらに、近年は社会全体が、インクルーシブ、ダイバーシティなどと言われるように、いわゆる、子ども、高齢者、障害者などの皆さんも含めた多様な個人が全員で構成される社会をつくろうという動きになっています。
これは、「必要水準」が引き下げられる動きと言えます(【図3】*2)。
結果、支援が必要な期間が短期化しています(【図3】*3)。

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民生委員という全国規模の制度が100年続く理由

繰り返しになりますが、民生委員の活動は、「個人の機能」が「必要水準」を下回る状況にある人達への支援です。
そして、それらはうまく身体が動かない、思うようにしゃべれないなどに対する「生きるためのリアルな支援」です。
民生委員の制度が100年続く理由は、いつの時代もこの「リアルな支援」が必ず存在するからだと思います。
上記の通り、確かにその支援が必要な時期は短期化されているので、その必要性はもしかしたら少なくなっていくのではないかと考えられます。
しかし、なくなることはないと思います。
今回は、便宜上、「個人の機能」をまとめて捉えましたが、本来は多種多様だし、「必要水準」についても、本人の置かれている状況により異なります。
つまり、現実的には、「個人の一生」の中で置かれた状況に合わせたリアルな支援が必ず必要になる。
それらを本人や家族だけで行うことが難しいため、リアルな支援が必要とされる。
その結果、民生委員の制度が100年も続いているのだと思いました。
 

今後はどうなっていくのか?

とはいえ、課題も多いように感じました。
◆個人と地域との関係性の希薄さ
「リアルな支援」には、支援する側とされる側の一定の関係性が必要です。
「リアルな支援が必要でない時期」に、地域とつながる機会が少ないと、いざ「リアルな支援が必要な時期」を迎えたときに円滑な支援がされづらいと思いました。
お恥ずかしながら、私自身、地域とのつながりは普段ほとんどありません。。。
◆後継者不足
「地縁」という言葉は死語に近いかもしれません。
無報酬でこのような活動をされる方は余程の地域愛と奉仕の心をもってらっしゃると思いますが、インターネットにより地域と直接的な関わりを持たなくても生きていける時代、活動の目的を理解した民生委員のなり手を確保していくのはなかなか難しい面があると思いました。
◆地域社会のリソースの生産性向上
民生委員以外にも、自治体、地域包括支援センター社会福祉協議会、学校、病院、地域の企業など、地域社会には様々なリソースがあります。
民生委員のことを調べるにあたり、これらのリソースが有効に機能してる感じに見えませんでした(役割、情報共有等々)。
これらの生産性向上の必要性も感じました。

 

最後に・・・

民生委員って何だ???という疑問から地域社会のあり方みたいなだいぶ大きな話しになってしまいました。
民生委員の皆様に敬意を表するとともに、地域社会に無頓着な自分にも気付けたので、そんな意識も持ちながら、生活をしていきたいと思います。
 
ありがとうございました😊